西田町教会についてABOUT
疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイ福音書11:28)
現代人はさまざまなことに疲れ、持たなくてもいいストレスを抱え、時間に追われています。私達にとって最も大切なものはそれぞれの命であるはずなのに、さまざまなものに囚われ、不自由に生きている方も多いでしょう。人間本来の生き方とは何なのでしょうか、冒頭の主イエスの言葉がヒントになるかも知れません。どうぞ教会においでください。
ご一緒に、生きるということを考えてみませんか。
諸集会のご案内
主日礼拝 | 日曜 午前10時30分より |
---|---|
教会学校(休止中) | 日曜 午前9時30分より |
100年のあゆみHISTORY
当時の所在地は万里小路東一条上ル吉田泉殿町
初代 大橋五男牧師就任
教会名が京都ウエスレー教会より京都西田町教会に変更された
日本キリスト教団は第二次世界大戦に際して、戦争に協力し、そのことを反省した文章を発表しました。
それが以下の「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」です。
教団及び当教会は、今後、この反省に立ち、いかなる戦争協力にも反対し、「平和の担い手」としての働きをして参ります。
第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白
わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。
今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。
わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。
まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて自覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。
わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。
明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。
わたくしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともに
おそれと責任を痛感するものであります。
「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。
まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。
しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。
まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。
わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。
心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。
終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。
この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。
1967年3月26日 復活主日
日本基督教団総会議長 鈴木正久